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脱・東京を志した理由(1)〜幼少期 東京への憧れ〜

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 福岡出身の僕は幼少の頃から東京に憧れているところがありました。

 インターネットも勿論ない時代なので、情報源は雑誌やテレビが中心で、得られる情報も東京発信のものが多かったことや、ヒーロー物のアニメや実写の番組を見て、東京にしかないものを敏感に感じていたのかもしれない。

 

1.小学校時代

 小学校2年生くらいのころ、インベーダーゲームが発表され、同時に子供向けの電子ゲーム機が徐々に発売になると、僕は、それに夢中になりました。
 電子ゲームは当時、それなりに高価なものだったし、世の中の親も、子供の教育に対して悪いイメージをもっていたと思うし、子供の世界でも放課後は「外で野球をして遊ぶ」ことが善な面があった。言い過ぎかもしれないが、家に帰宅してゲームばかりしている子は、ちょっとアウトサイダーな変なやつと思われていたと自覚している。

 僕はゲームに夢中になった派。親にねだって誕生日やクリスマスにゲーム機を買ってもらい、帰宅後はゲームばかりしていた。そのうちパソコンというものでゲームが出来ることを知ると、やりきれない程、物欲をもったことを今でも覚えている。さすがに、パソコンは高価すぎるものだったので、直ぐには手に入らないものではあったが、漫画「ゲームセンターあらし」の作者の すがやみつる先生が描いた本「こんにちはマイコン」を買って何度も読んで、いわばエアープログラミングをしていた。

2.中学時代

 ここまで記述した幼少時代の僕を想像した方の中には、いわば 現代の「おたく」なイメージをお持ちになる方も多いと思うが、純粋「ゲームおたく」ではなかった。小学校1年から毎週3日間、スイミングスクールに通い、まわりのお兄さんお姉さんたちを抜いて速いペースで進級したり、中学では陸上部で中・長距離走を専門にしていたのもあって、運動会やマラソン大会では、それなりに活躍していたので、「なんだか脚の速い人」というイメージのみを持っている人もいたり。成績も学年で上から常に10番には入っていたので、ゲームも上手くてスポーツも得意だし、頭もいい という、たぶん・・・否、今までの人生の中で、一番よかった時期だったと思う。

 ちなみに、最初に手に入れたパソコンはNECのPC8801Mk2で、小学校5年の時に親に、「これからは、コンピュータの時代」ということを1・2年間、熱弁し続けて買ってもらい、BASICというプログラミング言語を少々かじりながら、当時、福岡市の天神にあったPC用に発売されたゲームのレンタルをしているところで、借りたゲームにのめり込んでいました。

 


 そんな、子供時代を過ごしていたのもあって、「東京って、自分の知らない、すごいことをが出来る人が大勢居て、なんか芸能人も普通に歩いていたり、有名人にも会うチャンスがあったりするんだろうなぁ。もしかしたら、有名になれるかも!」と、今思うと、恥ずかしい妄想を、常にしてた。


 これが僕の東京への憧れの原点の片鱗